このブログの顔ですが、名前はグレコと言います。
サンフランシスコ、60年代後半にヒッピームーブメントの中心地だったハイト・アシュベリーのお土産屋で出会い、連れて帰ってきたクマです。


左:サンフランシスコ湾にて
右:アルカトラズ島にて
その後、パリにも連れて行きました。


左:サクレ・クール寺院にて
右:凱旋門にて
冒頭の写真:ムーラン・ルージュにて
そうです。グレイトフル・デッド・ベア(※)です。なので、グレコと名付けました。
※ デッド・ベア、ダンシング・ベアとも言います。中でも、ぬいぐるみはビーンズ・ベアと言います。
このクマ、グレイトフル・デッドのキャラクターなのですが、ライブの日付を誕生日として、100種類以上あるらしいです。
(ちなみに、私の手元にいるのは、1988年6月28日生まれ(=ライブの日付) の COLD RAIN です。この日のライブは雨だったんでしょうか?)
グレイトフル・デッドは、1965年にサンフランシスコで結成されたロックバンドです。
中心人物であるジェリー・ガルシアの死によって、1995年に解散となりましたが、アメリカの偉大なバンドとして、いつまでも忘れられることはないでしょう。
グレイトフル・デッドの音楽性は、ロック、カントリー、フォーク、ブルース、ジャズ、ブルーグラス、サイケなど幅広く、その演奏は肩の力を抜いたゆるい感じなのですが、何とも言えない自由さを感じます。
Liberty ではなく、Freedom の方の自由です。
グレイトフル・デッドには、デッドヘッズ(Dead Heads)と呼ばれる熱狂的なファンがおり、ライブの際には、バンドと一緒に全米各地を移動していました。
(著名人のデッドヘッズには、元大統領クリントン氏、元副大統領ゴア氏、元下院議長ペロシ氏、アップル創業者スティーヴ・ジョブズ氏、画家キース・ヘリング氏などがいます。)
ライブ会場では録音が許されており、更には商業目的でなければ、ファン同士の録音テープの交換も許されていました。
(会場のあちらこちらに公然と立つマイク。録音者はテーパーと呼ばれていました。)
録音は海賊盤の温床となるので、アーティスト側は禁止するのが普通なのですが、大らかな話です。
ところが、録音とテープ交換を許可した結果、それが返ってファン層を拡げ、ライブやレコードの売上に繋がったのだそうで、ビジネス戦略的にもあり、だった訳です。ファン側・アーティスト側双方にとってWin-Winだった訳で、良い話です。
グレイトフル・デッドという名前について、Greatful Dead(偉大なる死)と思われている方も多いのではないかと推測しますが(私もそう思っていました... ジョジョ第5部に出てくるスタンドもそうですし...)、そもそも great はあっても、greatful という単語はありません。
Grateful Dead です。感謝する死者、恩に報いる死者といった意味だそうです。
ということで、「レコード評議会」、今回の議題はこちらです。
Wake of the Flood
US盤(1973年)
Grateful Dead Records
GD-01
Side1:GD-01-A-M34 [TLC] K-6089 SON
Side2:GD-01-B-M36 [TLC] K-6092 SON




A1: Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo
A2: Let Me Sing Your Blues Away
A3: Row Jimmy
A4: Stella Blue
B1: Here Comes Sunshine
B2: Eyes Of The World
B3: Weather Report Suite:Prelude, Part Ⅰ, Part II (Let It Grow)
グレイトフル・デッドの通算10枚目。
Grateful Dead Records での第1弾です。
Grateful Dead Records は、Warner Brothers から独立して、1973年に設立した自主レーベルです。
自分達の音楽やレコードを自身でコントロールしたいと、米国内では大手会社の力を借りず、レコード製造から配給までの全てを自ら行っていたとのことです。
レコードの音質にも強いこだわりがあったようです。
レコード製造の際に金型(スタンパー)を長く使い回すと、音の角が取れてしまい、どうしても音の新鮮さは失われてしまいますが(音がヘタってしまう)、これを嫌った彼らは一定枚数をプレスしたら必ず金型を交換するよう徹底したといいます。
そういう背景もあってか、この盤は音がとても良いです。音の粒立ちが良く、各楽器が明瞭に鳴ります。
注:ただ、残念なことに、Grateful Dead Records は、スタジオ3作品とライブ1作品をリリースしたものの、ビジネス運営上のストレスや金銭的問題から、1977年に閉鎖となります。さすがに何もかも全てを自ら行うのは大変だったようです。レコード金型の交換にかかるコストも、金銭的に経営を圧迫したらしいです。なお、その後、彼らは大手の Arista Records と契約します。
グレイトフル・デッドの曲は、強いインパクトを感じさせるものではなく、ゆるい感じなので、一聴してもその良さが分からないところがあります。
ですが、その良さが分かってくると、どの曲も味わい深いと言うか、良い感じになります。
このアルバムについても、どの曲も良い感じなのですが、中でも特に好きなのは以下の3曲です。
A1: Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo
自分達で立ち上げたレコードレーベルの1枚目の1曲目なので、パンチの効いた曲かと思いきや、何ともゆるい感じの曲。でも、そのゆるさが良いのです。
終始オブリガードを入れているフィドルとギターが鮮度の高い音で、その音だけでも良い感じです。
B2: Eyes Of The World
彼らの曲の中で、私的ベスト5に入る曲。
気持ち良く刻まれるリズムギターと歌うようなベース。その上に乗って弾かれるギターソロとオブリガード。その飛翔感が素晴らしく、音の粒立ちの良さも相まって、いつまでも聴いていたいと思わせます。
このスタジオバージョンは5分強ですが(フェードアウトします)、ライブでは延々と演奏していたものと思われます(1990年リリースの Without A Net に収録のライブバージョンは16分強あります)。
ジャムバンドの元祖と言われるグレイトフル・デッドですが、正にそれを体現しています。
B1: Here Comes Sunshine
冒頭で wake of the flood, laughing water, forty-nine(’49) ... と歌われますが、アルバムタイトルはここから採られています。
Abbey Road (The Beatles) のB1: Here Comes The Sun を意識して、ここに配置したのではないかと思われます。
ただ、曲調は全く違って、ゆるさ × 浮遊感 (+ サイケ) といった感じです。
この曲の良さは、レコードならではの音の響き(倍音成分を感じる響き)があってこそと思いますが、繰り返し聴いているうちに、そのゆるゆるとしたトリップ感・アシッド感にいつの間にかハマります。
最後に、アルバムタイトルやジャケットなどについて、つらつらと考えたことのあれこれで、締めにしようと思います。
その1:アルバムタイトル について
アルバムタイトルの Wake of the Flood は、前述の通り、B1: Here Comes Sunshine の歌詞の中から採られています。
flood という単語は洪水という意味ですが、the Flood となると、ただの洪水ではなく、旧約聖書の「創世記」(ノアの方舟の話)に出てくる大洪水を指すようです。
wake は、目覚めるとか目覚めではなく、結果とか余波(特に破滅的な事象の結果)といった意味です。
とすると、Wake of the Flood というのは「大洪水の爪痕」とか「大洪水後の世界」といったような感じでしょうか。
邦題は「新しい夜明け」とされています。
wake を目覚めと訳して(※)、「洪水の目覚め」→「洪水後の翌朝の目覚め」→「(大変なことが起こった後の) 新しい夜明け」としたのでしょうか。
単に、曲名 Here Comes Sunshine から「新しい夜明け」としたのかも知れません。
※ wake を目覚めと訳した他の事例としては、In The Wake Of Poseidon(King Crimson)の邦題「ポセイドンのめざめ」というのもあります(本来は「ポセイドンの跡を追って」「ポセイドンに続いて」です)。
では何故タイトルを Wake of the Flood にしたのでしょう?
思うに、大手会社から独立して全てを自ら運営するなどといった前代未聞の事態(そのようなことをするアーティストは実際いなかった)をノアの大洪水になぞらえて「大洪水後の世界=前代未聞のレコード会社 Grateful Dead Records 設立後の現在」といったタイトルとしたのではないでしょうか。
そうだとすると、「新しい夜明け」という邦題は、誤訳などではなく、言い得て妙ともいえる名訳ということになります。
その2:ジャケット表紙の絵 について
ジャケットの表紙は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」の中、「最後の審判」のところの一節にインスピレーションを得て描かれたものだそうです。
And the sea gave up the dead which were in it, and death and Hades gave up the dead which were in them; and they were judged, every one of them according to their deeds.
海に沈む死者も、死と黄泉の世界にいる死者もよみがえる。そして全ての人々は、その行いに応じて裁きを受ける。
この絵から「最後の審判」を直接イメージすることは難しいですが、「昔、ノアの大洪水(背景の波が立つ海の絵)があった。今では麦が取れるようになり、布を被った人がその麦を収穫している。この人は最後の審判ではどのような裁きを受けるのだろう」という絵なのでしょうか。
更に言うなら「Grateful Dead Records を設立したが(前述の通りノアの大洪水になぞらえている)、グレイトフル・デッド(the dead=死者)は最後にはどのような評価(最後の審判)を受けるのだろう」ということを意味しているのでは、と考えてしまいます。
その3:ジャケット裏面とレーベル面のカラス について


ジャケット裏面とレーベル面にはカラスが描かれています。
crow(街中にいる小型のカラス)ではなく、raven(野生に生息する大型のカラス)のようです。
この raven は、死や悪病を予兆する不吉な鳥、不吉の兆しとされています。
自虐ネタ的に、Grateful Dead Records の前途多難、いずれ迎えるであろう死(レーベルの倒産)を予兆するものとして、カラスを描いたのではないでしょうか。
(実際、前述の通り、1977年にレーベルは閉鎖となってしまします。)
その4:Here Comes Sunshine の歌詞 について
Wake of the flood, laughing water, forty-nine(’49)
Get out the pans, don't just stand there dreaming, get out the way
Get out the way
Here comes sunshine
この曲は、1948年に起こったコロンビア川の大洪水(当時オレゴン州第2の都市だったヴァンポートの町が壊滅したため、ヴァンポートの大洪水とも言います)を想起して書かれた歌詞らしいです。
ところが、歌詞では forty-nine(’49)=1949年となっています。実際の大洪水は1948年のことなので、記憶違いなのでしょうか?
もしかすると、forty-nine(’49)=1849年なのかもしれません。
1848年にカリフォルニアで金が発見されたことから、金を求めて人々が1849年にカリフォルニアに殺到しました(ゴールドラッシュです)。
この人々のことを、forty-niners(49ers)と言いますが(アメリカンフットボールのチーム名にもなっています)、アメリカにとって’49と言ったら1849年を指すのが自然と思われます。
更に言うなら、実は forty-nights(40夜) と歌っているのではないかとも思っています。
雨が40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくしたノアの大洪水。
Wake of the Flood の the Flood が前述の通りノアの大洪水を指すのであれば、forty-nights(40夜) と歌っていてもおかしくありません。
実際に歌を聴いてみると、forty-nine(’49) にも、forty-nights(40夜) にも聞こえます。
それによって、歌の意味も全然違ったものになりますが、ダブルミーニング、トリプルミーニングを狙っていたのかも知れません。
以上、つらつらと考えてみたことのあれこれですが、いかがでしょう。
少しはデッドヘッズ(Dead Heads)に近づけたでしょうか。